やりたいことがありすぎるってことは心身が健康で良好ってことです

最近はやりたいことがありすぎて、
気づいたら予定表がつめつめになっています。

ちゃんと取捨選択しなきゃなあって思います。
なぜならぜんぶ中途半端な状態で終わってしまうから。

ただ、時間を切り詰めて、
毎日を過ごすのは逆に幸福感が減ってしまうし、
やりたいことをやって幸せになろうとしてるのに、
それじゃあ本末転倒ですよね。

なんでも上手くならねばいけないと思っている自分がいます。
英語も、仕事も、絵画も、翻訳も。
仕事としてやるなら、それは上を目指してやった方がいい。

しかし、絵画などの趣味は、
力を抜いて今のありのままの自分で楽しめばいいのでは?と思うのですが、
なぜかそこでも上達しなければいけないという気持ちが働きます。

やりたいことを多いし、
それぞれに理想も高いし、
自分どっかで息抜きした方がいいよね?と
なんてテキトーなことを考えながら、

上達するためにいろいろと動くのも楽しかったり、
本当に子供みたいな自分に困ります。

ただ、こんなふうに嬉しい悲鳴をあげるような日々は、
ほんとうに尊いものなんだよなあと
20代の仕事詰めの生活から学びました。

激務な環境で忙殺されていたとき、
自分のやりたいことや好きなことを見失ってたことがありました。

あの時は寝るだけに家に帰るような生活で、
仕事のことで頭がいっぱいでした。

自分のことしか考えられない、
本当に未熟な社会人だったと思います。

仕事にも慣れて、体調も回復したとき、
いっときあるドラマにどハマりして、
自分の中に「好き」という情熱が湧くのを感じました。

何かを好きになる、
誰かを好きになる、
何かをやりたいと思うことは、
自分の中の炎が燃えるようなもので、

精神的につぶれてしまっているときというのは、
何かを好きになるエネルギーさえも湧かないものなんですね。

何かを好きになって夢中になることって、
本当に心身共に健康な証拠なんだなと実感しました。

情熱のあたたかさで自分を内側からあたためることができる、
とても恵まれたことだと思います。

そんなときってストレッチとか筋トレとかしている時みたいに
体がぽかぽかしてるんですよね。

トキメキの感情が生む動悸のおかげなんでしょうか。

何にも興味をしめさない状態になるのは、
もう2度と繰り返すまいと思います。

そのためには自分の心に向き合って、
自分の要望をちゃんと聞いてあげること。

それを叶えるために行動してあげること。

体が動かないときは有無をいわせず休むこと。

やりたくないことをやってると、
普段は聞こえない自分の精神が、
病気や体調不良という形をとって訴えかけてくるんじゃないでしょうか。

推し活だってそうだし、
夢に向かって努力することも、
それをやっている時点で幸せなことなんだと思います。

やりたいことを全部やろうとスケジュールを入れすぎたり、
自分を追い詰めて苦しくなっている時でも、
そんな自分でいられる自分を褒めてもいいのかもしれないです。

結果がなかなか出なくても、
自分の中の情熱を燃やしてがんばれている証拠です。

やることを詰め込みすぎたら一歩立ち止まって、
そんな元気いっぱいの自分に感謝して、
いったん予定を引き直して、
あせらず心満たされる毎日を送りたいなと思います。

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